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メディアの攻撃から身を守るために、植草さんのブログを読みましょう [時事問題]

 森田実さんは著名な政治評論家で、マスメディアで活躍されていた方でありますが、タブーであった電通批判をしたためにパージされてしまい、いまは自身のホームページで精力的に評論活動をされています。
 そのホームページに、マスメディアの現状を鋭く批判しているところがありましたので、一部引用させていただきます。


 『私は、いま政治を動かしているのは、マスコミとくに大新聞社と大テレビ局だと考えています。大マスコミのごく少数の人間が、談合をして世論も政治も動かしているのです。傲慢そのものです。俺は、何百人が受けた試験を通ったのだ、俺は高給取りなのだと…。大変に傲慢になっているのです。また、反省力もない。傲慢な人間が大新聞をつくっています。しかも、マスコミ全部が団結してしまっています。翼賛体制になってしまっているのです。これにわが国の政治の指導者たちも動かされてしまっているのです。

 そして、これを上手くコントロールしているのが中央官庁のエリートです。エリート官僚が実権を握ったのは、彼らが大マスコミを握り、動かすことができるようになったからです。大マスコミを通じて日本国民をコントロールしているのです。大新聞社の経済関係の論説委員・編集委員の多くは、財務省と一体化している政府税調の委員になったりしているのです。政府批判をした人はパージされます。反権力、政府、政権の監視というジャーナリズムの基本的な役割を投げ捨て、堕落しきった人間が新聞社の中枢部にいるのです。この新聞に、政治が支配されているのです。……』

[以上は『労政フォーラム』2008年7月号より引用しました。引用を許してくれた『労政フォーラム』編集部に感謝します――森田実]

 植草一秀さんはマスメディアで活躍していた著名なエコノミストでした。植草さんは、小泉政権の政策を批判し、りそな国有化の問題点を追求したため、国家権力による2件の冤罪事件に巻き込まれ、今なお裁判で戦っておられる方です。

 その植草さんが、最近自身でブログを開設されて、精力的に情報を発信されています。ブログを読むと、植草さんが、権力に屈しない、真実しか語らない稀有なる存在であることが分かります。

 森田さんのHPにもありますように、新聞、テレビなどの堕落したマスメディアが権力側の影響下におかれ、ネットウヨが氾濫してネットもゆがめられて、何もかもが信頼できない現在の状況下において、全面的に信頼できる人であると思います。

 植草さんのブログ――植草一秀の『知られざる真実』 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/

 植草さんは、最優先の課題は政権交代であると述べておられます。政権交代にマイナスなことを言う人は疑いの目で見なければならないのです。そして、衆院選に向けての対立軸は、

  ①セーフティネット重視 VS 弱肉強食
  ②官僚利権根絶     VS 官僚利権温存
  ③独立自尊外交     VS 対米従属外交

であります。これから、衆議院選挙に向かって、自公政権は、偽装CHANGE(改革もどき)を仕掛けてくるが、彼らは、与党批判の受け皿となり、選挙が終われば自民党に合流がしてしまう可能性がある。だまされてはいけないのです。

 植草さんは、国民の利益、国益を常に考える愛国者ではないかと思います。植草さんのブログを読んでいけば、マスメディアがいかに巧妙に情報操作しようと、マインドコントロールを解き放つことができると思います。植草さんのブログ「植草一秀の『知られざる真実』」を読むことにいたしましょう。

私のつぶやき―③ [精神世界]

聖書の中から、マタイのよる福音書6章25~34

 【思い悩むな】
 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に収めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。

 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。 野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡(つむ)ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 

 だから、『何を食べようか』 『何を飲もうか』 『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。


 「私のつぶやき」
 イエス・キリストは、神を信じる者はすべてが与えられる、生活のことで思い悩むのは信仰が薄いからであると言われます。
 『神の国、神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな』 と言われても、先に与えてくれれば、神を信じてもいいよというのが大半の人の心情であると思います。無条件で神を信じろといわれても難しいですよね。

 人間の心臓は動き続けるのが当たり前と普通思われています。ですが最近、人間の心臓が動き続けられるのはどうしてだろう? 自律神経とはなんだろう? と改めて考えることがあります。 考えても私には分かりませんので、これは神からのエネルギーが供給されているので動き続けられるのであると解釈することにしました。

 そうすると、人間は初めから、神から与え続けれている存在であるということになります。 神からのエネルギーの供給がなければ生きられないとなれば、自然と神に感謝できるようになるのではないでしょうか? 神に感謝していれば、加えて与えてくださることもあるのだと思います。

 ますます先行き不安な世の中になっていますが、明日のことは思い悩まず、今日の苦労を精一杯味わっていくことにしたいと思います。
タグ:聖書

私のつぶやき―② [精神世界]

聖書の中から、ルカの福音書6章37、38、41,42

 【人を裁くな】
 人を裁くな。そうすれば、あなた方も裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦(ゆる)しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量(はか)りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなた方は自分の量る秤(はかり)で量り返されるからである。

 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、何故自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太をみないで、兄弟に向かって、「さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言えるのだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。


 「私のつぶやき」
 人は、憎しみ、怒りの感情などが湧き上がるとどうしても他人を批難してしまいます。相手も批難されれば、いい感情は持ちませんから、人間関係がうまくいかなくなってしまいます。イエス・キリストは、「人を裁くな。赦しなさい。与えなさい。」と言われました。これが人としての真実のこころの在り方であるとお示しになられたのです。人間関係を良くするためには、人を裁かないことが究極の方法なのだと思います。

 「いっさい人を裁かない。人を赦す。」を前提にして生活していくことは難しいことではありますが、高い山を登る登山家のように頂上を目指して、あきらめずに一歩一歩前進していけたらと思っています。

 後段で「何故自分の目の中の丸太に気づかないのか」言われておりますが、自分の目の中の丸太とは、心の歪みの象徴ではないでしょうか。心が歪んでいるかぎり見えないのだと思います。それに反して、他人の歪みはよく見えるので、つい批判して、気づかないうちに偽善者になってしまっているのです。

 美輪明宏さんが、スポーツニッポンに「明るい明日を」をというコラムを毎週日曜日に寄せています。27日は、「今の東京に五輪は不要」と題して石原都知事のことを書いているのですが、一部引用させていただきます。

 『…石原都知事は愚かです。皇太子さまに五輪招致の協力を要請し利用しようとして宮内庁に難色を示されると、宮内庁を「木っ端役人」呼ばわりしました。これにはあきれ返りました。知事というのは都民の税金で食べさせてもらっている役人ではないのでしょうか。知事も公僕、都民のしもべのはずです。それなのに自分はお偉い独裁者にでもなった気でいるのでしょうか。役人が同じ役人を「木っ端役人」呼ばわりするのは天につばをする行為です。石原知事は吐いたつばが同じ木っ端役人の自分に降りかかっているのが分からない差別主義の愚か者なのです。…』

 美輪さんの言われていることは、正論であると思います。石原知事は、自分の目の中の丸太がまるっきり見えていないのです。自分は正しいと思い込んでいる、偽善者の典型といったら言いすぎになるでしょうか。
タグ:聖書

私のつぶやき [精神世界]

 現在の政治家や権力側に立つ人たちには、偽善者といえるような人が多いように感じてしまいます。 偽善者とは、自分のしていることが正しいと思い込んでいる人たちです。自分の立場からの利害損得が何にもまして最優先で、他人の痛みに思いをいたすことの出来ない人ですね。同じ犯罪を犯した者でも、自分を罪深き者と認識している人は救われようがあるが、自分が正しいと思い込んでいる人は、本人が気づくまでは救われようがないのだと思います。聖書の中でイエス・キリストは、偽善者が救われるのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難しいと述べて、偽善者に対しことさら厳しい言葉で指弾されています。

 というようなことを、最近のニュースに接していますと感じてしまいます。気がめいるようなニュースばかりが多くて、ブログに書けるようなこともなくなってしまいました。ですが、せっかく再開したばかりということもありますので何か題材をと探しましたら、先日聖書を通読した際に、感銘を受けたところにチェックマークを付けていたことを思い出しました。それで、その部分を抽出して、私自身が改めて学び直すことにしました。その過程で、なにか感じられることがあったら幸いということで。

聖書の中から、マタイによる福音書5章38~48

 【復讐してはならない】
 あなたもがたも聞いているとおり、『目には目を、歯に歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。  あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着を取らせなさい。だれかが1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとするものには、背を向けてはならない。

 【敵を愛しなさい】
 「あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんなに優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているのではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。


 「私のつぶやき」
 愛←  →憎しみ
 『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。』は有名な言葉ですが、外側から見る限り、やられっぱなしでいなさいということになってしまいます。人間には、自己保存本能がありますから、やられっぱなしというのは恐いことではあります。でも、神のレベルから見れば、やられっぱなしはすばらしい行為なのです。けっして卑下する行為ではないということですね。

 大事なことは憎しみの感情をもってはいけないということではないでしょうか。いろんな凶悪犯罪が起きていますが、憎しみ、憎悪にとらわれてしまった結果、自滅してしまったのだと思います。そんなことなら、愛をもってやられっぱなしにしておいたほうが良いということなのです。

 『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。』 この部分は、神の愛の途方もない大きさを感じさせてくれるところであると思います。神の愛に善人、悪人の区別などないのです。自分をいじめる者を愛し、自分をいじめる者のために祈りなさいと言われます。そこには、憎しみのかけらもありません。自分の愛の小ささを再認識されるばかりでありますが、愛を少しでも膨らませられるよう努力していきたいと思わずにはいられません。

徴税人…当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にありました。その税の徴収を請け負っていた人たちがいたのです。彼らは軽蔑される存在であったようです。
タグ:聖書

川口女子中学生父刺殺事件に思うこと [社会問題]

 最近、本棚に寝かせておいた「新約聖書}(日本聖書協会)を、以前でしたら1,2ページ読んだだけで放り投げていたのに、初めて最後まで読み通すことができました。

 通読できたのは、混迷する世の中に不安が募って、神様にでもすがりたいという欲求が強まったのが原因かも知れませんね?

 聖書を読んでみて、2千年前の世の中のようす、イエス・キリストの偉大さを改めて認識することが出来ました。イエス・キリストは幾多の奇跡を行いました。目の見えない人が見えるようになったり、歩けない人が歩き出したり、死者のよみがえり、湖の上を歩きましたし、嵐を静めました。

 これらの奇蹟を信じられない人は多いと思いますが、奇蹟は、イエス・キリストが『天と地をつなぐ者』であることの証(あかし)なのだと思います。天とは、キリスト教でいう『天にまします我らの神よ…』とおなじ、天空の天ではなくて、霊的な天ということですね。

 それから、聖書には悪魔サタンが登場します。悪魔サタンは、イエス・キリストを貶めようとさまざまに誘惑します。しかし、イエスは、それら誘惑に打ち勝ちサタンを追い払います。 また、聖書の最後にあるヨハネの黙示録では、悪魔サタンとの戦いの話になります。最後にサタンは敗北し、神の国の出現が予言されています。

 こうして見てみますと、世の歴史というものは、悪魔サタンと神との戦いという側面から見ることも可能ではないかと、空想してしまいました。  

 先日、川口市のマンションで、女子中学生が深夜父親を刺殺すると言う事件が起きました。報道によりますと、夜父親と一緒につくったカレーを家族みんなで食べ、一緒にビデオを見てから寝たということです。しかし、夢の中で父親が家族を殺す場面がでてきて、目が覚めてから、衝動的に父を刺してしまったと供述しているそうです。

 この事件の報道を聞いて、すぐに悪魔サタンの仕業ではないかとimaginationを働かせてしまいました。女子中学生に、サタンの進入を許すスキがあったということになるのでしょうか? いずれにしても、事件の動機はあいまいのまま捜査は終結ということにならざるをえないような感じがします。

 この事件は、悪魔サタンでも持ち出さないかぎり、理解不能であります。 サタンは、まだ元気に活動しているということなのでしょう。 サタンは、私たちの心を征服しようと常にスキをうかがっているのではないでしょうか? 私たちは、自分の内面の心を見つめ、サタンの進入を防がなければなりません。それには、自分の心を静謐(せいひつ)に保って、自分を見つめ直す時間を毎日持つ必要があるように思われます。


川口父刺殺:母「動機、本当に分からない」 学校側が会見(毎日新聞)

 埼玉県川口市で私立中3年の長女(15)が父親(46)を刺殺したとされる事件で、長女が通う中学校で22日、終業式があった。式後会見した学校側は、この日長女の母親から電話があり、母親は「ご迷惑をかけて申し訳ない。動機が本当に分からないんです」などと涙ながら話したことを明らかにした。

 会見した校長によると、電話があったのは式開始前の午前8時過ぎ。応対した校長に対し、母親は「勉強しろと厳しかったのはむしろ私の方でした」とも話したという。校長は「非常に動揺しているようだった」と印象を話した。

 一方、終業式では校長が生徒に事件の概要を初めて説明。長女と同じ3年の女子生徒の中には集合直後から泣き続ける生徒もいた。校長が「人の命を奪うことはあってはならない。親に反発することもあるだろうが、両親は皆さんを愛している」と話すと、生徒らは一様に神妙に聞いていたという。

 今後、22日午後6時から保護者に対する説明会を開く。生徒の心のケアも検討していくという。

伊吹失言「選挙勝つには目くらましを」 [ニュース]

 更新を2ヶ月ほど休んでしまいました。少し余裕が出来ましたので、書きたい時に書くというスタイルで再開したいと思います。

 最近の新聞、テレビなどのマスメディアの報道を見たり読んだりしていると、素直に受け取れないという気持ちが膨らんできてしまいます。何か巨大な力に影響されているのではないかという疑念がどうしてもぬぐえないのです。マスメディアといっても、所詮商売が前提の民間企業ですから、クライアントである広告主の圧力には抗しきれないのだと思います。

 朝日新聞の社説の論調も今年にはいって変化したように思えます。時の政権と対峙するというより、何か腰のふらついたような時の政権に気兼ねした物言いが増えたのではないでしょうか? 明らかに保守化していると思います。 圧力は経営面にかぎらず、暴力を伴った事例も推定されますので、抗しきれず組織防衛をはかったということなのかもしれません? いずれにしましても、ほとんどのメディアが権力に迎合してしまって、ジャーナリズム精神という言葉は死語になってしまいました。

 それで、ニュース記事には距離を置いて、自分の思うことを自由に書いていくことといたします。ブログのタイトルも「私好みのimagination」に変更することといたしました。

 日本は、戦後民主主義国家といわれてきました。しかし、これからも民主主義の国でいられるのかどうか、私には不安のほうが大きくなってきています。民主主義などもろいものなのではないでしょうか? 政治家が談合すれば、あっという間に独裁国家に変貌してしまうような気がします。

 この頃、封建時代はどのような生活をしていたのだろうかと考えることがあります。封建時代には、年貢という税金で生活していた武士という特権階級が威張っていたのでしょうが、庶民は結構人間味のある生活をしていたのではないかなと想像したりして。

 日本の政治家、官僚、公務員たちは、税金(年貢)で生活しています。それで、彼らは、公僕ということになっています。公僕とは公である国民の僕(しもべ)という意味です。しかし、彼らは僕にしては、ずいぶん偉そうに、でかい顔しているのではないでしょうか。 税金(年貢)で生活している彼らが威張ってしまったら、封建時代の武士と変わらなくなってしまうのではないでしょうか? それに、2世、3世議員を構成して、既に特権階級化しているように思います。税金で生活している政治家や官僚は、国民の僕であるとの精神に即刻立ち返るべきであると思います。(などと言ってみても空しいですね)

 今度の衆議院選挙は、来年の九月までには必ず行われます。自公政権は、現状では過半数も危ないと非常な危機感をもっているものと思われます。自公政治家、霞ヶ関官僚や経団連をはじめとする財界などの権力側は、あらゆる手段、謀略を駆使して権力構造を維持しようとしてくるはずです。マスメディアは、彼らの手先となって働かされることになるでしょう。

 与党の政治家たちは、日本の民主主義などどうでもよいのです。国民の民意を、捻じ曲げてでも自分たちの権力を維持したいというエゴイストに堕してしまっているように見えます。 それを証明するかのような政治家の発言が飛び出しました。どこか「他人事」で「上から目線」の発言が多いことから、福田首相や町村信孝官房長官と並んで「イヤミ3兄弟」と呼ばれる伊吹自民党幹事長は、講演で、消費税について「上げてから選挙をすれば大変なことになる」と述べ、総選挙前に引き上げるべきでないとの考えを強調したそうです。

 総選挙対策についても、「いい意味での目くらましとパフォーマンスを首相にお願いしながら難局を切り抜けていきたい」と述べたというのです。選挙において、国民を目くらませということは、あらゆる謀略を使って国民をごまかして権力を維持せよということであります。それに、目くらましにいい意味も悪い意味もないと思います。伊吹幹事長もずいぶん精神的に追い詰められておられるようで、本音がもろに露出してしまいました。

 この発言に、自民党ベテラン議員は、 「選挙のために消費税上げを封印し、それが終われば消費税を上げるという姑息な手法を取ることを宣言したのも同じことで、何を考えているのか。これから先、政府・与党が打ち出す政策すべてが、選挙目当ての『目くらまし』や『パフォーマンス』と思われてしまう。『国民は簡単にだませる』と見下している伊吹氏の考えが透けてみえる」と憤っているそうですが、語るに落ちたとはこのことでしょう。

 このニュースは、産経新聞以外は報道されなかったようにおもいます。テレビは見ていないのでわかりませんが、何か作為的なものを感じてしまいます。政府与党に不利になるような報道は差し控えてるのではないかと? 


伊吹失言「選挙勝つには目くらましを」国民見下し(ZAKZAK)

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失言で更迭論が加速しそうな伊吹幹事長

 自民党の伊吹文明幹事長が16日、京都市内で講演し、消費税引き上げは次期総選挙後にすべきとの考えを示したうえで、「選挙に勝とうと思うと一種の『目くらまし』をしなければしょうがない」と述べた。国民をバカにしたこの失言が、内閣や自民党の支持率下落につながることは確実で、福田康夫首相が7月下旬に検討している内閣改造・党役員人事での幹事長交代説もささやかれ始めている。

 どこか「他人事」で「上から目線」の発言が多いことから、福田首相や町村信孝官房長官と並んで「イヤミ3兄弟」と呼ばれる伊吹氏。講演では、消費税について「上げてから選挙をすれば大変なことになる」と述べ、総選挙前に引き上げるべきでないとの考えを強調した。

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