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麻生首相の楽観主義は宗教の域と植草さんのブログ紹介 [時事問題]

 麻生首相は、年頭の記者会見を、「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。好きな言葉であり、ある学者の言葉(アラン「幸福論」)です」と楽観主義者であることを表明して始めました。
 そして、「未来は私たちがつくるもの。未来は明るい。そう信じて行動を起こす。そうした意志こそが、未来を切り開く」と続けました。

 麻生首相は、筋金入りの楽観主義者であることがわかりますが、これまでの言動を合わせて考えますと、楽観主義が一種の宗教の域にまで達しているかのようです。

 それで、自民党の未来も明るいと信じて疑わないのです。そう考えますと。自民党総裁選に当選したときの挨拶で、「政策を実行に移す力が我々以外の政党にどこにあろうかと思っております。その政党は民主党ではない、断じてありえないと思っております」と宣言したのも理解できるように思います。

 麻生首相は、楽観主義が正しいと信じて疑わないわけですが、楽観主義にも長所、短所があるように思います。あまりにも楽観主義過ぎますと、現実を正しく見ることができなくなるのではないでしょうか?

 たとえば、先に滝が待っている川を下る船の上で、楽観主義者は滝の危険を深刻に受けとめられず、そのまま滝へ落ちるということが起きるかも知れませんが、悲観主義者は危険をいち早く察知し、船を岸に着けると思うのです。

 今の自民党は、選挙という滝が待っているのですが。極端な楽観主義の船長(麻生首相)は、未来は明るいと、滝が見えていない状況にあるのか、あるいは見えていても見ない振りして現実逃避しているかなのだと思われます。

 過ぎたるは及ばざるがごとしで、極端な悲観論も、極端な楽観論もよくないのだと思います。事実を冷静に見つめ、分析することがなければならないと思います。麻生首相の極端な楽観主義は、日本の将来を危うくする可能性があるような気がするのですが?

 また、極端な楽観主義者は、頑固になって、反省することがないというところがあるのではないでしょうか? 麻生首相は、(100年の経済危機を錦の御旗にして)小泉構造改革を否定することなく路線転換をはかっているように見えます。権力を維持するために、自民党の政策が、カメレオンのように変わって国民を惑わしても、麻生首相は恥じいることがないようです。

 いずれにしても、麻生首相のような楽観主義者の目くらましに負けないようにする必要があります。そのために、我々一般国民は、小泉構造改革の総括という原点に帰って確認する作業を、定期的に行うことを欠かしてはいけないのだと思います。そして、その作業をしてくれているのが、植草さんのブログ『知られざる真実』であります。今回は、 「市場原理主義者の総括が変革への第一歩」と題して、市場原理主義を総括していますので、後段部分を引用させていただきます。

(以下引用開始)
 
 「市場原理主義者」の特徴は、「資本の利益増大」だけを追求し、「労働者」の分配所得減少、労働者の身分の不安定化にまったく配慮しなかったことだ。「資本」が利益追求に走る場合、「資本」は「労働」を機械部品として取り扱う。

 企業は派遣労働者の労働コストを「人件費」ではなく「物件費」として計上する。不況が波及して生産水準を切り下げるとき、企業は労働者の生活への影響を一顧(いっこ)だにせず、突然の「雇い止め」通告を冷酷に発する。

 企業を取り巻く競争条件の急変に対応して、企業の雇用人員調整の要請に応じるための制度変更を実施するのであれば、同時に労働者の生活を保障する施策を新たに設けることが不可欠だった。

 「市場原理主義者」は労働者の生活を安定化させる施策整備を主張しなかった。市場原理主義者は「資本の手先」としての行動を貫いて現在に至っている。この期(ご)に及んで「法人税減税」を唱える人物に、意見を求める理由は存在しない。

 1998年から2006年にかけての分配所得の推移を検証すると、雇用者の所得が減少した一方で、大企業収益、役員報酬、株主配当が倍増した。企業は存続の限界線を歩んだのではなく、史上空前の最高益を謳歌(おうか)したのだ。

 結局、労働市場の規制緩和は、「労働」の犠牲のうえの「資本」の利益増大をもたらしただけだった。派遣労働の拡大を中心とする非正規雇用労働の急激な拡大は、労働者のなかの低所得労働者の比率を急激に増大させた。しかも、派遣労働者を中心とする非正規雇用労働者に対する各種社会保険による保障整備は、完全に考慮の外に置かれた。

 繰り返しになるが、「同一労働・同一賃金」の基本ルールを早急に構築する必要がある。同時に、雇用を失う労働者に対する保障制度を確立する必要がある。派遣労働者、正社員、役員の所得に天文学的な格差がつく合理的な根拠は存在しない。企業経営に対する影響力の大小をよりどころに、労働者が資本家に搾取(さくしゅ)されているだけだ。

 日本の法人税負担は実効税率で比較して、諸外国に比べて突出して高いものではない。法人税が高いと主張して海外に移転するなら、そのような企業は海外に移転すればよい。そのような企業の製品を日本国民はボイコットすることになるだろう。

 政府の経済財政諮問会議には4名の民間議員が参加している。橋本政権が諮問会議を発足したときから、民間議員の構成は2名の財界人と2名の御用学者である。これらの「資本」と「財政当局」の利害を代表する「御用人」と「御用学者」がさまざまな制度改革を主導してきた。

 彼らは「資本の論理」を国の制度に反映することに注力した。その結果、労働市場の規制緩和が強行され、日本社会が変質した。「格差社会」、「労働者の生存権危機」は、「御用学者」と「資本家」によって導入された制度によって生まれたのである。

 経済財政諮問会議の民間議員に「消費者」と「労働者」の意向を反映する人物を登用する必要がある。

 小泉政権以降の自公政権は「市場原理主義」=「新自由主義」を表看板に掲げて、
  ①「弱肉強食奨励」=「大企業の利益」
  ②「官僚利権死守」=「特権官僚の利益」
  ③「対米隷属外交」=「外国(資本)の利益」
 を追求してきた。麻生政権もこの路線を踏襲(とうしゅう)している。

 2009年は政権交代を実現して、
  ①「セーフティネット再構築」=「国民の利益」
  ②「官僚利権根絶」=「国民の利益」
  ③「自主独立外交」=「国民の利益」
 を追求する路線に基本方針を転換しなければならない。

 「市場原理主義者」が「大資本(業)」、「特権官僚(官)」、「外国資本(外)」の利益だけを追求してきたことを明確に認識しなければならない。「市場原理主義者」は企業を取り巻く環境変化の機に乗じて、「労働」に犠牲を強いる「資本の論理」を日本社会に強引に植え付けた。「市場原理主義者」を総括することが、新しい時代に踏み出す第一歩になる。

(以上引用終わり)

 小泉構造改革の真っただ中で、道路公団改革委員会でしたか、田中委員長が辞任の際、「皆さん、だまされないようにしてくださいね!」と遺言してくれた場面が忘れられません。すったもんだして、結局最後に残ったのは、猪瀬氏と大宅氏という情けないことになってしまったのでした。田中委員長は、暗闘の中で改革の正体が分かってしまったのです。それで、あの遺言を残していかれたのだと思います。

 小泉改革は、自民党の有力政治家、一部の財界人、高級官僚、アメリカの外資が連携して、改革に名を借りた火事場泥棒を働いたようなものと言えるのではないでしょうか? 偽装改革の裏で、ひそかに大儲けた連中がいるのです。

 火事場泥棒は犯罪です。犯人を解明しなければなりません。そうしなければ、また繰り返される恐れがあるでしょう。小泉構造改革を総括しないで先に進めないし、進んではいけないのだと思います。

 最後に、田中委員長の遺言を記して終わりにします。

 「皆さん、だまされないようにしてくださいね!」

   植草一秀の『知られざる真実』 「市場原理主義者の総括が変革への第一歩」 
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